白狸の考現家 +KEIBA

昔『ギャンブル依存症』でした。私は【競馬】で会社を転々としました・・・

馬術>愛馬は、青森の三浦牧場の生産で、父がアイルランドダービーを勝ったシンドン、母は父がゲイタイムで、中央で8勝した馬でした。

 こん○○は !! 白狸です。ブログ上でやり取りを進めるため転載させていただきます。

 

┣■ horse manさん

おはようございます。体調がすぐれないようでつらいですね。ご無理はなさらないでください。
ブログ、ぜひ読みたいです。どのように検索しましらよいか教えてください。

私は、学生時代、馬術部で、全国大会で入賞することを目標に、人馬一体の4年間でした。愛馬は、青森の三浦牧場の生産で、父がアイルランドダービーを勝ったシンドン、母は父がゲイタイムで、中央で8勝した馬でした。栗毛の4長白の、とてもきれいな馬でした。愛馬の故郷を訪ねたことで、いろいろな人との出会いがありました。

 

▢ 私は、学生時代、馬術部で、全国大会で入賞することを目標に、人馬一体の4年間でした。


・オォ、本格的な馬好きさんだ。 (^_^) 世田谷区の馬事公苑の近所にかつて住んでおり、ウォーキングコースでしたね。行かれた・出場されたことはありますか? 前回の東京五輪でだいぶ小綺麗になったようです。(^o^; 覆馬場を思い切って移設しちゃってますね。馬房を南北エリアで分割したみたい。

 



▢ 愛馬は、青森の三浦牧場の生産で、父がアイルランドダービーを勝ったシンドン、母は父がゲイタイムで、中央で8勝した馬でした。栗毛の4長白の、とてもきれいな馬でした。愛馬の故郷を訪ねたことで、いろいろな人との出会いがありました。

・青森の馬産地は残念ながら訪れたことがありません。有名な上泉華陽の絵はご覧になられましたでしょうか? 私も確か1点所有した覚えがあります。 (^_^) 

・北海道勢・外国勢に圧され衰退の一途をたどっておりましたが、セリなど活性化を見せ始め、近年また徐々に盛り返しつつある兆しをみせていました。タイヘイ牧場は静内・青森の二拠点ですね。スペランツァという愛馬を1口所有してました。

 

・該当馬が2頭いますね。

「トレビ 牝 1970栃栗毛」

「ホンマルワーク 牝 1968栗毛」

どちらでしょう? (^_^)


・推察するに私よりご年配のようです。『サラブレット種牡馬銘鑑』1巻1970-10巻1989を堪能できる世代ですね。こちらとしても是非当時の貴重なお話をお聞かせ願いたいところです。 (^_^)

 

 

┣■ horse manさん

こんにちは。ブログ白狸ーkeibaを拝読して、コメントを投稿いたしました。今後、ブログへ投稿いたします。


大学2年生の時、先輩が乗り崩した馬を部内戦で自分の愛馬としました。それから、本格的に馬術の勉強をして、大学3年生の夏、西日本学生馬術大会の総合(馬場・傷害・スティープル)で3位となったので、10月、貨物列車で、2泊3日間かけて輸送しました。私も貨車で一緒でした。愛馬は横になれず、脚がパンパンとなり、全日本学生馬術大会に出場するには、あまりに厳しかったです。結果は、激しい雨の中でのスティープルで、途中で障害を3回拒否したため、失格となりました。
大学4年生の西日本馬術大会は、就職活動であまり乗り込むことができず、全日本の出場資格はゲットできませんでした。

 

 

「乗り崩す」とは乗馬界の通称でしょうか?「騎兵が、敵陣に駆け入って備えをくずす」的な??(^_^;)

・乗りこなせなかったことでしょうね。「部内戦」かぁ。高貴な生き物ゆえパートナー獲得も熾烈そうです。

▢ それから、本格的に馬術の勉強をして、大学3年生の夏、西日本学生馬術大会の総合(馬場・傷害・スティープル)で3位となったので、10月、貨物列車で、2泊3日間かけて輸送しました。

・馬術大会の映像はGCグリーンチャンネルでよく観てました。 (^_^) 全国大会に出場を果たされたということは【馬事公苑】に訪れたことがあるんですね。立派な【三木ホースランドパーク】ができる前は西日本ではどこで開催されていたのですか? 少し調べてみましたが場所が明記されていませんでした。【同志社大】が昔から強豪のようですね。

・そうそう、ひと昔前は【馬事公苑】の馬が一般道(裏道)を周回してました。馬糞をしてしまうこともあるのですが、後から回収していたようです。1度曲がり角でバッタリ遭遇した際には突然のことで驚きました。(^o^; あちらは平然と馬上から眺めておりましたけど。今は何かあったら煩いので一般道には出歩かないんでしょうね。

・馬事公苑から環八道路方面のエリアを散策させていたようでした。

 

 

▢ 私も貨車で一緒でした。愛馬は横になれず、脚がパンパンとなり、全日本学生馬術大会に出場するには、あまりに厳しかったです。結果は、激しい雨の中でのスティープルで、途中で障害を3回拒否したため、失格となりました。
大学4年生の西日本馬術大会は、就職活動であまり乗り込むことができず、全日本の出場資格はゲットできませんでした。


貨物列車で愛馬と同席・同じ貨車?とはまさにドラマ・映画のような光景ですね。(笑) 最近は海外競馬へ航空輸送されますが、その際にも厩務員が同じエリアで備えていたりするのでしょうか ??

馬術競技JRAがメンツを賭けて?かなり力を入れておりますが(^o^;、前回のフランス五輪では『近代五種』で日本選手が初めてメダル銀を獲得しましたね。先日ラジオにて佐藤大宗選手(陸自)が「あれだけ練習した馬術が種目から外されて頭にきた!」と苦笑いされておりましたが、逆にペアーを組まされる馬のコンディション・相性もあるので難しい競技だと話されていたのが印象的でした。

詳しくはこちら


『馬ライフ』創刊号だかで、河川敷に横長コンクリの配管を置いて馬場を作っていた写真がありました。乗馬クラブもまだまだ少なかったでしょうし、また今の日本人の秩序ある行動を先取りしていた感のあるスポーツですよね。 (^_^)